正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。(詩篇37篇30節ー31節)

1.マタイの福音書22章15節ー22節
2.ヨハネの福音書8章1節ー12節
3.コリント人への手紙第一2章1節ー12節
4.ヤコブの手紙1章12節ー25節

パリサイ人たちは、ことばのわなにかけるために弟子をイエス様のもとに遣わして「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。」と尋ねさせると、イエス様は「偽善者たち。なぜわたしをためすのか。納め金にするお金をわたしに見せなさい。」と仰せられてから、彼らが持ってきた1デナリをご覧になられて「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか」と、尋ねたので彼らが「カイザルのです。」と答えると「それならカイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」と言われたことを聞いた人々は驚嘆して立ち去りましたし、パリサイ人や律法学者が姦淫の罪を犯した女性に対してモーセの律法、今日の聖句が「正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。」と語っているように、正しい者であるイエス様は神の知恵を語り、公義を告げられたのでした。ところで、今日の聖句は「正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。」と、イエス様を信じることによって神の義をいただいて正しい者とされたキリスト者が、ヤコブが「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができる(ヤコブの手紙1章21節)」と語っているように心に神のみおしえをもっているなら、イエス様のように神の知恵を語り、公義を告げることができ、その歩みは確かなものとされることを約束してくださっているのではないでしょうか。この世の知恵ではなく神の力であり、神の知恵であるキリストにある者として生きるようにしようではありませんか。