神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)
1.使徒の働き1章4節ー8節
2.使徒の働き4章1節ー12節
3.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
4.コリント人への手紙第一2章1節ー12節
パウロは「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、その結果、あなたがたはどんな賜物に欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。」と語ってから、サタンはヨブを試みましたが、それは主が許された範囲内でしたが(ヨブ記1章及び2章)、パウロが、肉の思いは神に対して反抗するもので、神の律法に服従できない、と語っているように、肉の思いは非常に強いので、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と、「私」に生きているコリントの教会に行った時、「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」と告白しておられます。人間関係においても、将来のことを思うとき、恐れや不安が襲ってきますが、パウロが「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。」とテモテを励ましているように、思い煩いや恐れが襲って来た時、キリスト者にはイエス様を信じたことによって、神の子とされているために神を「アバ、父」と呼ぶことができる特権が与えられてことを、イエス様が「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」と仰られたように(使徒の働き1章8節)、聖霊に満たされたペテロが人を恐れずに大胆に福音を語られたことを、聖霊によって神の愛が注がれていることを(ローマ人への手紙5章5節)思い起こし、力と愛と冷静に物事を判断することのできる慎みの霊である聖霊の力に満たされるように祈ろうではありませんか。
