「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章15節)

1.ローマ人への手紙5章6節ー11節
2.ローマ人への手紙8章33節ー39節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー10節

律法による義に生き、祭司長たちから権限を授けられたパウロはナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を、教会を迫害していましたが、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられキリスト者になったパウロは「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪をおこなっています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」と自分のうちに罪があることを認識し「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくださるのでしょうか。」と葛藤する中で、「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」と答えを見出しただけでなく、キリスト・イエスにある神の愛の確かさを確信され(ローマ人への手紙8章33節ー39節)、パウロは教会を迫害していたためにご自分のことを「罪人のかしら」と告白するとともに「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」と証ししておられます。救われていることを喜ぼうではありませんか。