主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは思っておられない。(哀歌3章33節)

1.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
2. ヤコブの手紙1章2節ー4節
3.ペテロの手紙第一1章3節ー 7節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー10節

イエス様は「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人んみまさりません。弟子がその師のようになれたら十分です。(マタイの福音書10章 24節ー25節)」と、また「弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです(ルカの福音書6章40節)」と師のようになるためには訓練が欠かせないことを語っています。ヘブル人への手紙12章3節ー7節に「あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしないためです。あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」とありますが、ヘブル人への手紙5章7節-10節には人としてこの世におられた時、イエス様がどれほどの苦しみにあったかを語るとともに、苦しみによって従順を学ばれ完全な者とされた、とあります。ペテロの手紙第一5章10節は「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と語っています。ですから、今日の聖句は「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは思っておられない。」と語っているのではないでしょうか。主に愛されていることを忘れないようにしようではありませんか。