悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受けるために召されたのだから。(ペテロの手紙第一3章9節)
1.詩篇37篇1節ー13節
2.マタイの福音書5章43節ー48節
3.ローマ人への手紙12章14節ー21節
4.ガラテヤ人への手紙3章6節ー14節
イエス様は「わたしのために人々があなたがをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたの預言者たちを、人々は迫害したのです。」と仰せられるとともに「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と仰せられただけでなく(マタイの福音書5章11節ー12節及び43節ー44節)、十字架にかけられたイエス様は人々のためにとりなして祈られ、実践され、神の愛を示されたのでした。この世はやったらやり返すことが当たり前のようになっていますが、復讐は破壊を招くだけで、悲惨な状態を拡大してしまうのではないでしょうか。ペテロはかつてイエス様を捕らえに来た大祭司のしもべに撃ってかかって耳を切り落としたとき、イエス様から「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます(マタイの福音書26章52節)。剣をさやに収めなさい。父がわたしにくださった杯を、どうして飲まずにいられよう(マルコの福音書18章10節ー11節)」と注意を受けましたが、死者の中からよみがえられたイエス様にお会いし、聖霊に満たされたペテロは「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受けるために召されたのだから。」と勧める人に変えられたのでした。もっとも素晴らしい祝福はイエス様によって与えられる罪の赦しと永遠のいのちではないでしょうか。人々がイエス様を知り、信じることができるように祈ろうではありませんか。
