どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。(テサロニケへの手紙第二2章16節ー17節)
1.ローマ人への手紙12章19節ー21節
2.コリント人への手紙 第二1章2節ー6節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.テサロニケへの手紙第一2章1節ー6節
パウロは神のあわれみと恵みをよくご存知でしたが、「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行なっています。もし私は自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」と心の葛藤を告白する一方で神の愛の確かさを確信されるとともに(ローマ人への手紙7章18節ー20節及び8章28節ー38節)。「どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」と祈られました。キリスト者になっても、ことばや行いで失敗してパウロのように自分の惨めさを思って自分を責めるような状態に陥ることがありますが、そのような時には神に愛されていることを、罪に定められることがなくやがて主にお会いする時が来ることを忘れず、心をお調べになる神が喜ばれる良いわざとことばに進むことができるように、神の力であり、神の知恵であられるキリストに生きることができるように、力を与えて内なる人を強めてくださる方でもあり慰め主でもある聖霊様に助けていただこうではありませんか。
