あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(ペテロの手紙第一1章21節)

1.使徒の働き3章1節ー19節
2.ローマ人への手紙4章19節ー5 章5節
3.ローマ人への手紙15章4節ー13節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー9節

イエス様はご自分のことを一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と申し上げると、天から「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と仰せられたように、イエス様は罪人バラバの代わりに十字架にかけられ殺されましたが、旧約聖書の預言が、イエス様が弟子たちに仰せられたように、ヨハネの福音書1章18節が「いまだかつて神を見たものはいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かされたのである。」と語っているように、三日目に死からよみがえらせ、栄光を現され、神がどのような方なののかを示されたのでした。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」とペテロは申し上げましたが、イエス様が捕えられるとイエス様が「ペテロ。あなたはに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と仰せられたように三度否定したのですが、死からよみがえられたイエス様にお会いし、生ける望みを持つ者になられただけでなく(ペテロの手紙第一1章3節)、信仰はイエスによって与えられるものであることを悟られたので(使徒の働き3章16節)、ペテロは「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」と語っているのではないでしょうか。ヘブル人への手紙12章2節も「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めているように、信仰は主が育ててくださることを心に据えると共に、やがて主にお会いする時が来るというこの世が与えることのできない希望が与えられていることを忘れないようにしようではありませんか。