義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。(箴言4章18節)

1.マタイの福音書5章14節ー16節
2.コリント人への手紙第二3章6節ー18節
3.コリント人への手紙第二4章13節ー18節
4.ピリピ人への手紙3章17節ー21節

パウロは「義」について、義には律法による自分の義とキリスト・イエスを信じることによって神から与えられる神の義の2種類があることを語るとともに(ピリピ人への手紙3章9節)、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節ー24節)」と語っているように義人は恵みによって罪から贖われた者であることがわかります。しかも、パウロは「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3章18節)」と、「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い栄光をもたらすからです。(コリント人への手紙第二4章15節ー17節)」と私たちは変えられる存在であることを語っています。ですから今日の聖句「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。」は、キリスト者に適用されるものではないでしょうか。私たちはイエス様を信じたことによって光が与えらているだけでなく、過ちを犯すたびに主の恵みと愛の深さを知ることによって主の栄光が増していくのではないでしょうか。やり直しの人生が与えられていることを感謝して生きようではありませんか。