主よ。あなたの恵みと、あなたの救いとが、みことばのとおりに、私にもたらされますように。(詩篇119篇41節)
1.ローマ人への手紙10章1節ー13節
2.コリント人への手紙第一4章4節ー5節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.ガラテヤ人への手紙2章16節
ヨハネはまずイエス様について、恵みとまことに満ちておられる方、と紹介してから「私たちは、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのです。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからです。(ヨハネの福音書1章15節ー16節)」と、迫害にあったパウロも「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節)」と「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8章33節ー34節)」と語るとともにキリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すものはない、という確信をもって生きられたのでした。興味深いことに、多くの罪を犯したダビデは、悔い改めて主に立ち返ると、罪の赦しだけでなく、主が勝利を与えてくださったことを経験されたがゆえに「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」と語ってから「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。(詩篇23篇6節)」と語っています。私たちも肉の思いに支配されると、ダビデのように恐れに支配されたり、さまざまな間違いをしすいものですが、そのような時恵みとまことを実現され、すべてのことを益としてくださる主に期待し、「主よ。あなたの恵みと、あなたの救いとが、みことばのとおりに、私にもたらされますように。」と、祈ろうではありませんか。
