どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。(詩篇7篇9節)

1.サムエル記第一16章6節-13節
2.マタイの福音書22章35節ー37節
3.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
4.ヘブル人への手紙4章12節ー16節 

ダビデは「どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。」と祈られてから「正しい神は、心と思いを調べられます。」と、神がどのような方で、何をされるかを語っています。ところで、聖書には度々「心」と「思い」が対になって書かれていますが、箴言19章21節が「人の心には多くの計画がある。」と、「心(ヘブル語:レーブ)」は情緒的なものではなく、知性に関わるものであり、「思い(ヘブル語:キルヤー)」は直訳すると「腎臓」ですが、新改訳は「思い」と、口語訳は「はらわた」と訳しています。ところで、強烈な怒りがこみ上げてくる状態を「はらわたが煮えくりかえる」ということばに見られるように「思い」は情緒的なものであることがわかります。ところで、パウロは「怒っても罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と警告してから「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦しあいなさい。」と語っているのは、悪魔は神のことを思わせないようにし(マタイの福音書16章21節ー23節)、情に生き、理性的、知的な判断をさせないようにするからではないでしょうか。パウロが「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節ー7節)」と勧めているように私たちの心と思いを調べられる主に口先だけでなく、イエス様は私たちが罪に定められないようにとりなしていてくださることを忘れずに、心からの感謝をもって祈ろうではありませんか。