「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」と言われているのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章43節ー44節)

1.マタイの福音書10章24節ー25節
2.ヨハネの福音書13章1節ー20節
3. ローマ人への手紙5章1節ー11節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー16節

ギリシャ語には「エロス、ストルケ、フィレオ、アガペ」と、四つの愛の形態を表すことばがあります。「エロス」は男女間の愛、「ストルケ」は親子の愛に象徴される家族愛、「フィレオ」は友情ですが、それらの愛は生まれながら神によって与えられていますが、「アガペ」は神の愛を示すもので、パウロが「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている」と語っているように生まれながら持ち合わせている愛とは質の違った愛がキリスト者には与えられていることを語っていますが、それは、イエス様の「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。これはイエスを信じる者が後になってかrた受ける御霊のことを言われたのである。」というみことばが保証しています。水から上がられると聖霊が鳩のように下り聖霊に満たされたイエス様は「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われているのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と仰せせられたように、ただ教えられただけでなく、十字架上でののしったり、悪口を言ったり、あざ笑った人々のために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」ととりなして祈られ、実践されたのでした。神の愛に生きるために、パウロが「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(コリント人への手紙第一11章1節)」と、「まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(テモテへの手紙第一2章1節)」と勧めているように、恵みによって救われていることを忘れずに、人々の救いのために祈るようにしようではありませんか。