聖書は、神が異邦人がその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。(ガラテヤ人への手紙3章8節ー9節)
1.ローマ人への手紙3章19節ー27節
2.エペソ人への手紙2章10節ー19節
3.ピリピ人への手紙3章2節ー9節
4.ペテロの手紙第一3章8節ー12節
パウロは「私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるあるからです。(ピリピ人への手紙3章9節)」と二種類の義を、ソロモンは「あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。(口語訳 伝道者の書7章16節)」と、自分を滅ぼしてしまう義があることを語っています。律法による自分の義は人を見下げたりパリサイ人であった時のパウロのようにキリスト者を迫害するようなもので、差別や争いをもたらしますが、イエス様を信じて神から与えられる義は恵みによって与えられるがゆえにだれも誇ることができないばかりか、今日の聖句が語っているように、キリスト者は罪や死だけでなく、神の怒りからも救われ、神が選ばれたアブラハムと同じ祝福が、神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって祝福してくださっていることを(エペソ人への手紙1章3節)忘れないようにしようではありませんか。
