主は、私の光、私の救い。だれを私は畏れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。(詩篇271節)

1.イザヤ書イザヤ書601節ー3
2.ヨハネの福音書11節ー6
3.ヨハネの福音書81節ー12
4.ヨハネの手紙第一15節ー22

イザヤは「地を見ると、見よ。苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者(イザヤ書822節)」と語ってから「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガラリヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。(イザヤ書81節ー2節)」と預言されたことを御霊に導かれて荒野で悪魔の試みに勝利されてから聖霊の力に満たされたイエス様が(ルカの福音書414節)成就され、宣教を開始されたのでした(マタイの福音書41節ー17節)。パリサイ人や律法学者に「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と仰せられたにもかかわらず、彼らはイエス様を信じないばかりか、やがてイエス様を十字架にかけて殺したのですが、イエス様は三日目に死からよみがえられて死に勝利され、永遠のいのちを明らかにされたのでした。パウロが弱さを覚えていたテモテに「キリスト·イエスにある恵によって強くなりなさい。··私の福音の言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス·キリストをいつも思っていなさい。(テモテへの手紙第二21節及び8節)」と勧めたように、ダビデが「主は、私の光、私の救い。だれを私は畏れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。」と語っているように、人を恐れるよりも、人の策略を栄光に変えられ、恵みとまことを実現されたイエス様がどんな時にも、いつもともにおられることを忘れないようにしようではありませんか。