何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ人への手紙3章23節)

1.マタイの福音書25章31節ー40節
2.エペソ人への手紙6章6節ー7節
3.ピリピ人への手紙2章2節ー5節
4.ヤコブの手紙4章13節ー15節 

パウロはパリサイ人として律法による自分の義に生きていた時には、祭司長から権限を授けられ、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたのですが、自分が迫害していたのはイエス・キリストご自身であったことを、神のあわれみや恵みを知り、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」とキリスト者が留意するべき点を勧める人になられました。ダビデは自分のいのちを愛し、自分の考えでサウルの手から逃れるためにペリシテ人の地に逃げ込んでからゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲って全ての人を殺害し、家畜や着物などの戦利品をアキシュ王に差し出し、どこに行ってきたのかを尋ねられるとユダのネゲブなどと答えて偽りをもってアキシュ王の信用を得たように(サムエル記第一27章1節ー12節)、神の存在を忘れてしまうと、人に気に入られるように嘘をついたり、人に同調して何らかの罪を犯してしまったり、感情を害すると人間関係にひずみが生じてしまうように、結局は自分の益のための行動になってしまうのではないでしょうか。イエス様は仕えられるためではなく、かえって仕えるために来られたことを十字架の死ととりなしの祈りをもって実践されたのでした。パウロは「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや、神にでしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。(ガラテヤ人への手紙1章10節)」と語っています。イエス様のことを思って生活するようにしようではありませんか。