サムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(サムエル記第一15章22節)
1.申命記28章1節ー 13節
2.マタイの福音書21章28節ー32節
3.マタイの福音書23章16節ー23節
4.ヤコブの手紙1章12節ー24節
サウルと民は「わたしは、イスラエルがエジプトから上って来る途中、アマレクがイスラエルにしたことを罰する。今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだも殺せ」と命じられた主のことばを聞かされていながら、彼らは欲にかられてアガク王と肥えた羊や牛、子羊と最も良いものを惜しんで聖絶しないで、つまらない値打ちのないものだけを聖絶し、そのことをサムエルから指摘されると、最上のものを聖絶しなかった理由を「主にいけにえをささげるため」と言い訳をしてつくろったので、サムエルは「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」と語ったのでした。神は愛ですが、それとともに主権者であり、何が最善であるのかをご存知な方であることを心に据えて、みことばを知っていても肉の思いでみことばに生きることができずに失敗しても、サウルのように言い訳をするのではなく、ダビデのように悔いた心を正直に申し上げるとともに、十字架で示された神の愛を、とりなしていてくださるイエス様を仰ぎ見て恵みのみことばに生きるように心がけようではありませんか。