私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。(詩篇13篇5節)

1.サムエル記第二7章12節ー16節
2.イザヤ書12章3節ー6節
3. ヨハネの福音書1章14節ー17節
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節

主はダビデに永遠の王国を約束されただけでなく、「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときには、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取りさったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。」と、たとえダビデの子孫が罪を犯しても見捨てることなく恵みを与え続けることを約束され(サムエル記第二7章12節ー15節)、その約束は、恵みとまことに満ちておられたイエス・キリストによって実現したので、パウロが「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節)」と語っているように、恵みの上にさらに恵みを受けて生きることができるようになったのでした(ヨハネの福音書1章14節及び16節ー17節)。キリスト者であろうがそうでなかろうが嘘、偽りは罪ですから、罪を犯すことのない人はいないので、詩篇130篇3節が「主よ。あなたがもし、不義に目を留めるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。」と語っているように義なる神である主の前に立つことはできませんが、「しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます(畏れます)」と語っているように、行いによるのではなく恵みによって、死を招く罪や神のさばきから救われているのです。恵みによって救われていることを喜ぶだけでなく、日々恵みの中を歩ませていただいていることを忘れないようにしようではありませんか。