主よ。私の力、私のとりで、苦難の日の私の逃げ場よ。あなたのもとに、諸国の民は地の果てから来て言うでしょう。「私たちの先祖が受け継いだものは、ただ偽るもの、何の役にも立たないむなしいものばかりだった。人間は自分のために神々を造れようか。そんなものは神でない」と。(エレミヤ書16章19節ー20節)
1.詩篇115篇3節ー8節
2.イザヤ書44章9節ー20節
3.コリント人への手紙第一8章1節ー6節
4.ペテロの手紙第一1章18節ー25節
律法については精通していても神がどのような方なのかを見過ごしていたましたが、イエス様から直接声をかけられ、キリスト者となったパウロは「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを虚しくする。』知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいますか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか(コリント人への手紙第一1章18節ー20節)」と、また「私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。(コリント人への手紙第二4章3節ー4節)」と、人々がイエス様を信じない理由を挙げています。今日の聖句が「主よ。私の力、私のとりで、苦難の日の私の逃げ場よ。」と語っているように主がどのような方なのかを忘れずに、愚像崇拝者の心の目が開かれて「あなたのもとに、諸国の民は地の果てから来て言うでしょう。『私たちの先祖が受け継いだものは、ただ偽るもの、何の役にも立たないむなしいものばかりだった。人間は自分のために神々を造れようか。そんなものは神でない』」と語っているように告白することができるようにとりなして祈ろうではありませんか。