律法が入って来たのは、違反がまし加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。(ローマ人への手紙 5章20節ー21節)

1.ヨハネの福音書1章14節ー17節
2.ローマ人への手紙5章6節ー11節
3.ローマ人への手紙8章33節ー39節
4.コリント人への手紙第二3章6節ー18節

律法学者やパリサイ人たちが何度も「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じてます。ところで、あなたは何と言われますか。」と尋ねられたイエス様が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と答えると、パリサイ人たちは残っていましたが、年長者からはじめて民衆が立ち去ったように(ヨハネの福音書8章1節ー9節)、ヤコブの手紙3章2節が「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体をりっぱに制御できる完全な人です。」と語っているように、すべての人はこの世を去るまで失敗を、罪を積み上げて生きているのではないでしょうか。それゆえ、すべての人に恵みが必要なのですが、その恵みは今日の聖句が「律法が入って来たのは、違反がまし加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」と語っているように、人の道理では理解できないほど大きなものであることを、行いによって取り消されるようなものでない永遠のいのちが与えられていることを感謝し、日々恵みをむだにしないで歩むように心がけようではありませんか。