さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りをつくし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。(エペソ人への手紙4章1節ー3節)

1.使徒の働き2章22節ー47節
2.ガラテヤ人への手紙5章16節ー26節
3.ピリピ人への手紙1章29節ー2章16節
4.コロサイ人への手紙3章2節ー15節 

 イエス様はゲッセマネの園に行く前、「あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしにくださった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。(ヨハネの福音書17章18節ー22節)」と、父と子が一つであるように一つになることを願われたのでした。聖霊に満たされたパウロは神の御心を知る者となられ「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」と語ってから「謙遜と柔和の限りをつくし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」と、キリスト者には御霊が与えられているにもかかわらず御霊の一致を熱心に保つように勧めているのは、肉の思いに支配されて聖霊を悲しませてたり、聖霊が消されたような状態に陥ってしまうことがあるからではないでしょうか。謙遜も柔和も寛容も神の愛も平和も全て御霊の実であることを、この世の遣わされた御国の大使という存在であるこを心に据えて真理のみことばに生きられるように御霊に助けていただこうではありませんか。