私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(コリント人への手紙第一11章1節)
1.ヨハネの福音書13章1節ー35節
2.ピリピ人への手紙1章27節ー2章16節
3.テモテへの手紙第一1章13節ー17節
4.ペテロの手紙第一2章13節ー 25節
教会を迫害していたにもかかわらず、使徒として召され神の恵みを深く知ったパウロは「私はパウロにつく」「私はアポロに」と、すなわち肉の思いに生きていたコリントの聖徒たちに「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」と、パウロがどのようにキリストに従って生きているのかを、コリントの聖徒たちもキリストがどのように生きたかを考慮して生きるように、神の恵みをむだに受けないようにして欲しいことも語っています(コリント人への手紙第二6章1節)。テモテにも「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえられたイエス・キリストを、いつも思っていなさい。(テモテへの手紙第一2章8節)」と勧めています。ヨハネも「神のうちにとどまっていると言うものは、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません(ヨハネの手紙第一2章6節)」と語っています。ところで、ヨハネはイエス様のことを恵みとまことに満ちておられる方、と紹介してから「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハネの福音書1章18節)」と語るとともに興味深いことに、キリスト者に神がどのよう私たちを愛されたかを考慮して互いに愛し合うべきである、と言ってから「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちに全うされるのです。神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。」と語っています。イエス様が願っているように、ほかの人に不満を抱くようなことがあっても神の愛に生きるために互いに赦し合って生きようではありませんか(コロサイ人への手紙3章13節)。