悪をたくらむ者の心には欺きがある。平和を図る人には喜びがある。(箴言12章20節)

1.創世記3章1節ー5節
2.ローマ人への手紙12章9節ー21節
3.ローマ人への手紙14章14節ー19節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー3節 

今日の聖句は「悪をたくらむ者の心には欺きがある。平和を図る人には喜びがある。」と、悪をたくらむ者と平和を図る人の心のあり方の違いを語っています。創世記1章31節に「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。」とありますが、欺きは被造物でありながら「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」と言い、高ぶったために天から地に落とされたサタンの心の中で始まり、善悪の知識の木から取って食べないように仰せられた神の警告を直接聞いていなかったエバに偽りの言葉をもって欺き、罪を犯すように誘惑したのでした。一方神との平和を図ったイエス様は苦しめられ十字架につけられましたがヘブル人への手紙12章2節は「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座に着座されました。」と語っています。詩篇32篇1節ー2節は「幸いなことよ。そむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。」と語っています。悪をたくらむ者は世全体を支配している悪者、すなわちサタンであり、平和を図る人はイエス様であることを心に据えて、パウロが「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12:18)」と勧めているように心が元気を失い、疲れ果ててしまわないように、平和な心で、そして喜びをもって生きることができるように十字架を忍ばれたイエス様のことを考えて生きるようにしようではありませんか。