正しい者は主にあって喜び、主に身を避けます。心のすぐな人はみな、誇ることができましょう。(詩篇64篇10節)
1.詩篇16篇1節ー11節
2. 詩篇68篇3節ー4節
3.ローマ人への手紙4章23節ー5章5節
4.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
パウロが自分の義に生き、自分の考えで物事を判断してキリスト者を迫害していたように、人はとかく自分は正しい者と考えがちですが、聖書は「義人はいない。ひとりもいない。・・・・・すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章10節及び23節ー24節)」と語っているように、正しい者、すなわち贖われた者であるキリスト者に今日の聖句は「正しい者は主にあって喜び、主に身を避けます。心のすぐな人はみな、誇ることができましょう。」と、喜びの根源は主との関係によって成り立つ世界を語っています。捕らわれの身でありながら、置かれている状況にとらわれずにパウロがキリスト者に「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ人への手紙4章4節)。」と勧めることがでいたのは「私は使徒の中で最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、、私は神の教会を迫害していたからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにならず、私はほかのすべての使徒たちより多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙第一15章9節ー10節)」と語っているように、恵みを知っただけでなく、恵みに生きておられたからではないでしょうか。パウロのように、私たちの神である主のような神は他にいないことを心に据えて恵みとまことに満ちておられる主を信頼して生きようではありませんか。