欲の深い人は争いを引き起こす。しかし主に拠り頼む人は豊かになる。(箴言28章25節)

1.ルカの福音書12章13節ー31節
2.ヨハネの福音書1章14節ー17節
3.テモテへの手紙第一6章2節ー11節
4.ヤコブの手紙1章12節ー16節

パウロは「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。」と語ってから、その理由として、そのときに人々は自分を愛する者、金を愛する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです、と語っています。イエス様は「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ(アガパオ=神の愛で愛する)』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ(アガパオ)』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです(マタイの福音書22章37節ー40節)」と仰られましたが、第二の戒めの「あなたの隣人をあなた自身のように」を、まず自分を愛せなかったら隣人を愛せないように解釈された牧師先生がおられますが、そうすると三つの戒めになってしまい、パウロが語っているように自分を愛する者になってしまい見かけは敬虔そうでもその実を否定してしまう生き方をしてしまうのではないでしょうか。今日の聖句が「欲の深い人は争いを引き起こす。しかし主に拠り頼む人は豊かになる。」と語っているように、神を愛しているのか自分を愛しているのかによってその生き方はだいぶ違ってしまうのではないでしょうか。イエス様は「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。(ルカの福音書12章15節)」と語るとともに「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません(ヨハネの福音書6章35節)、わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネの福音書10章10節)」と仰られました。この世が与えることのできない心の豊かさを与えてくださる主を信頼して生きようではありませんか。