主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。(箴言8章22節)

1.エレミヤ書1章1節ー10節
2.コリント人への手紙第一1節ー3節
3.ガラテヤ人への手紙1章1節ー5節
4.エペソ人への手紙1章3節ー6節

今日の聖句は「主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。」と、罪人を救うためにイエス様を人としてこの世にお遣わしになり、十字架の死と復活をもって贖いを完成されのですがそれは神の知恵によるものでした。今日の聖句の前句8章12節に「知恵であるわたし」とあるように、今日の聖句の「主」は知恵を意味します。ところで、パウロは「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。(コリント人への手紙第一1章24節)」と語っているように、イエス・キリストであることがわかります。創世記1章1節は「初めに、神が天と地を創造した」と語っていますが、ヨハネは「初めに、ことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。(ヨハネの福音書1章1節)」と、神の知恵であるイエス様のことを「ことば」と表現し、この世界のすべては御子イエス様によって創造されたことを語っています。ですから、パウロは「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ人への手紙2章10節)」と、キリスト者は神の知恵であるキリストにあって新しくされていることを、「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神が愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。(エペソ人への手紙1章3節ー10節)と語っています。私たちは神の知恵によって、恵みによって、新しくとされ、神の子とされていること、霊的祝福が与えられていることを忘れずに主を誉めたたえて生きるようにしようではありませんか。