彼らの心は神に誠実でなく神の契約にも忠実でなかった。しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して滅ぼさず、幾度も怒りを押さえ、滅ぼさず、幾度も怒りを押さえ、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。(詩篇78篇37節ー39節)
1.詩篇103篇1節ー14節
2.哀歌3章22節ー39節
3.ローマ人への手紙8章33節ー39節
4.ローマ人への手紙15章4節ー5節
エジプトで苦しんでいた民はエジプトにおいてだけでなく、後ろからはエジプト軍、前方には紅海と四面楚歌のような状態の中にあって主は海を二つに分けられ、民が対岸に渡り終えると海を元に戻されたので、エジプト軍はひとり残らず溺死したのを見た民は神の大いなる御力を見て、恐れ、すなわち畏敬の念をもってモーセとともに主を誉めたたえたのですが(出エジプト記14章)、荒野において欲望にかられたリ、約束の地を目にしながら偵察に行った者のうち約束の地を悪く言いふらした者たちのことばを信じて人を恐れたりするとエジプトを懐かしむようなことをして不信の罪を犯したのですが、それでも、主は民を滅ぼされることなく、モーセに約束されたように、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって民が進んで行く道を示され、モーセの後継者ヨシュアを用いられ広い良い地、乳と蜜の流れる地に導かれたのでした。パウロは「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたものです。それは聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」と語ってから「どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。」と祈られました。恵みによって救わていること、全生涯の罪が赦され永遠のいのちが与えられていることを知っていながらも、パウロが「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である(テモテへの手紙第二2章13節)と、今日の聖句が「彼らの心は神に誠実でなく神の契約にも忠実でなかった。」と、語っているようにイスラエルの民のようにつぶいやいたり、疑ったりして不信感をもってしまうようなことがあるのではないでしょうか。しかし私たちの弱さをよくご存知なイエス様は私たちが罪に定められないようにとりなしていてくださることを、キリスト・イエスにある神の愛は決して取り去られることのない恵みを、神はあわれみ深い方であることを忘れないようにしようではありませんか。