主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。まぬけ者は知らず、愚かな者にはこれがわかりません。(詩篇924節ー6節)

1.ローマ人への手紙1章16節ー25節
2.ローマ人への手紙83節ー8
3. ローマ人への手紙1125節ー122
4.コリント人への手紙第一21節ー14

今日の聖句はまず「主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。」と語ってから、その理由を「主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。」と語るとともに、「まぬけ者は知らず、愚かな者にはこれがわかりません。」と語っていますが、聖書は天地万物を創造された神を考慮しない人々のことを「まぬけ者」や「愚かな者」と語っているのであって、知能指数や能力ではなく霊的なことを語っています。パウロは「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らが救われることです。私は彼らが神に対して熱心であることを明かしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。(ローマ人への手紙10章節ー3節)」と同胞のユダヤ人に関して語っていますが、テモテに「私は以前は、神を汚す者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。(テモテへの手紙第一113節)」と語っているようにパウロ自身も経験したことでした。統一教会の文鮮明はかつて十字架は失敗であったかのように語り自分がメシアのように語ったようですが、実は愚かな者ではないでしょうか。十字架のことばは私たちにとって力です。全く罪のない方が罪人を救うために罪人の代わりに十字架の刑を受けることなど人には理解できないことですが、それは神の大いなるご計画によるものでした。私たちのためにいのち捧げてくださっただけでなく、十字架で示された神の愛は私たちの行いに左右されるものでないことを(ローマ人への手紙8章35節ー39節)喜んで生きるようにしようではありませんか。