あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(ペテロの手紙第一1章21節)

1.ローマ人への手紙8章28節ー39節
2.ローマ人への手紙11章25節ー36節
3.ローマ人への手紙12章2節ー3節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー9節

イエス様が「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と仰せられたにも関わらず、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと覚悟はできております。」と言われたのは、「わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。」と仰せられたことだけしかペテロは心に留めていなかったのではないでしょうか。結果はイエス様が仰せられたようにイエス様のことを三度知らないと言い、三度目に鶏が鳴いた時、彼はイエス様のことばを思い出して外に出て激しく泣いたのですが、やがて死からよみがえられたイエス様にお会いしたことによって生ける望みを持つ者となられただけでなく、聖霊の力に満たされたペテロは信仰はキリストによって与えられるものであることを知ったので(使徒の働き3章16節)、「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」と語っているのではないでしょうか。ペテロのように挫折して自分には信仰がないように思わされて落ち込むようなことがあっても、主が立ち直る時も与えてくださり、落ち込んでいる人に、今日の聖句をもって励ますことができることも主の恵みではないでしょうか。主が喜ばれるように、みことばをもって互いに支え合って生きようではありませんか。