いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。(エペソ人への手紙5章20節)
1.詩篇50篇14節及び23節
2.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
3.コロサイ人への手紙3章12節ー15節
4.テサロニケへの手紙第一5章16節-18節
パウロは自分の義に生きていた時にはキリスト者を迫害していましたが、ダマスコの途上でイエス様から「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。」との使命を受けて福音宣教の働きをする中で、同胞のユダヤ人から迫害され殺されそうになったにもかかわらず、パウロは「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」と勧めておられるのは、イエス様が十字架にかけられる前に「パンを取り、感謝をささげてから、裂いて『これは、あなたがたのために与える。わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。(ルカの福音書22章19節ー20節)』」と仰られたことを、パウロは主から受けたこととして語るとともに(コリント人への手紙第一11章23節ー26節)、テモテに「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。(テモテへの手紙第二2章8節)」と勧めているように、死に至るまで従順であられたイエス様と御子イエス様をお遣わしくださった神に感謝するように勧めているのではないでしょうか。パウロが「「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)」と語っているように、感情では感謝できないような時や出来事の背後に主のご計画があることを理性で受け止めて主を仰ぎ見て、全生涯の罪が赦されていることを思い起こし、主に感謝のいけにえを捧げようではありませんか。