すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)

1.詩篇55篇22節
2.詩篇68篇19節ー20節
3.ヨハネの福音書14章22節ー27節
4. ペテロの手紙第一5章7節ー11節

自分と自分のささげ物に主が目を留められなかった事にひどく怒り、顔を伏せたカインに、主は「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」と警告したのですが、カインはアベルを殺害してしまったので、主が「あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」とカインに仰せられたのは、作物ができないくなってしまった土地から追い出されたのはカインが生きるためでしたが、カインが「私の咎は、大きすぎてにないきれません。ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から離れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」と申し上げると、主はだれも彼を殺すことのないように一つのしるしを下さったのでした。しかもカインはさすらう人ではなく町を建てたのでした(創世記4章3節ー16節)。イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と、約束されました。主は私たちの罪を負ってくださるだけでなく、ダビデが「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」と語っているように、安らぎと平安を与えて生き返らせてくださるだけでなく、日々私たちの重荷、すなわち思い煩いや人間関係などの問題を負ってくださる方であることを心に据えて、カインのように正直に心のうちを主に申し上げて、主の恵みと平安をいただいて歩むようにしようではありませんか。