私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。(詩篇145篇5節)
1.イザヤ書53章1節ー12節
2.マタイの福音書28節18節ー20節
3.ヨハネの福音書12章20節ー28節
4.ピリピ人への手紙2章6節ー11節
パウロが「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。(ローマ人への手紙15章4節 )」と語っているように旧約聖書にはご自分の民イスラエルのために危機的な状況から数々の奇蹟をもって救い、栄光を現された記事がたくさんあります。ところで、イエス様は「人の子が栄光を受ける時が来ました。」と仰せられてから、ご自身を一粒の麦に例えられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と言われると天から「わたしはすでに栄光を現したし、もう一度栄光を現そう。」と仰せられたように(ヨハネの福音書12章、死からのよみがえりをもって栄光を現されたのでした。ダビデはさまざまな罪を犯しましたが、主に立ち返ると主は彼の祈りをお聞きくださり、勝利を与えられて栄光を現されたのでした。ペテロは「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなた方をしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン」と祈られました。心が元気を失ったり、疲れた時、「私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。」と語っているダビデのように、主権者であり、信仰の完成者であり、栄光の主であるイエス様の事を考えようではありませんか。