まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。(詩篇107篇9節)
1.ヨハネの福音書6章24節ー35節
2.ヨハネの福音書7章37節ー39節
3.ヘブル人への手紙7章14節ー28節
4.ヤコブの手紙1章12節ー17節
主から知恵の心と判断する心を与えられたソロモンは「私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。(伝道者の書2章3節)」と、愚かさ、すなわち神を考慮しない世の人々と同じ目線からこの世のすべての分野を究極まで探索した結果、彼は「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。(伝道者の書1章2節ー3節)」と伝道者の書の冒頭に語るとともに「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節ー14節)」と結論づけられたのは、イエス様が「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と、ヘブル人への手紙7章26節が「きよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。」と、今日の聖句が「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。」と、語っているように、心を満たすことができるのは主以外におられないことを悟ったからではないでしょうか。主は心を満たされるだけでなく、荒野を旅するイスラエルの民のために水も食料も与えられたのでした。私たちのことを心配し(ペテロの手紙第一5章7節)、世話してくださる主がともにおられることを忘れずに、イエス様が勧告しておられるように神の国とその義をまず第一に求めて生きるようにしようではありませんか(マタイの福音書6章26節ー34節)。