怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。(エペソ人への手紙4章26節ー27節)

1.箴言25章28節
2.箴言29章8節ー11節
3.ガラテヤ人への手紙5章13節ー24節
4.ヤコブの手紙1章12節ー22節 

パウロが「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。(テモテ人への手紙第一1章12節ー16節)」と証ししているように、キリストを信じる信仰によって与えられる神の義を知らずに自分の義に生きていたためにナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えて、ステパノを殺すことに賛成しただけでなく激しい怒りに燃えてキリスト者を迫害していたのですが(使徒の働き8章1節及び26章9節ー18節)、キリストを、恵みを知る者となられ、「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と勧める方になられたのでした。イエス様が「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。(マタイの福音書16章23節)」と仰せられたようにサタンとも呼ばれる悪魔は神を忘れさせようとします。箴言29章11節は「愚かな者は怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれをうちにおさめる。」と語っています。愚かな者、すなわち心の中で神はいないと思っている方と同じような生き方ではなく、神は全てのことをご存知であることを心に据えて悪魔に機会を与えないようにお互いに赦し合いながら生きるようにしようではありませんか(エペソ人への手紙4章32節)。