ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ローマ人への手紙1章16節ー17節)
1.ガラテヤ人への手紙3章1節ー11節
2.ピリピ人への手紙3章2節ー16節
3.ヘブル人への手紙10章30節ー39節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
パウロは「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」と、皇帝崇拝が盛んに行われていたローマにいる聖徒たちに、福音がどのようなもので、何をもたらしてくださるのかを語ったのでした。パウロは福音を恥としない理由として「救いを得させる神の力」「神の義が啓示されている」と二つの要素を語るとともに、「その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。」と、ハバクク書2章4節を引用して『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」と、神の義がもたらすものをも語ったのでした。ローマ人への手紙6章23節が「罪から来る報酬は神の力はこの世や人の知恵や力では救うことのできない罪や死からの救いであり、神の義は「信仰に始まり信仰に進ませる」と語っているのは、神の義はキリストを信じる信仰によって与えられるからであり(ピリピ人への手紙3章9節)、義人となるのもキリストを信じることによるものであるからであり(ローマ人への手紙3章23節ー28節)、ヨシャパテが「私たちとしては、どうすればよいかわりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです(歴代誌第二20章12節)」と神に拠り頼んで勝利を得たように、ペテロのために信仰がなくならないうように祈られたように、神の義であるイエス様が信仰を完成させてくださることを心に据えてイエスから目を離さないようにしようではありませんか。