この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネの福音書1章4節ー5節)

1.イザヤ書8章19節ー9章7節
2.イザヤ書60章1節ー3節
3.ヨハネの福音書6章32節ー35節
4.使徒の働き26章9節ー23節

パウロは「あなたがたは自分の罪禍と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。(エペソ人への手紙2章1節―2節)」と、人はイエス様を信じる前は世全体を支配している悪魔の支配下にあり、罪禍や罪のゆえに永遠の死に向かって生きている事を語る一方「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」と語っているように、神は罪や死から人類を救うために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしなり、十字架の死をもって罪の代価を支払ってくださり、復活をもって死の力を持つ悪魔と悪魔の働き、すなわち、やみに勝利されたのでした。ですからヨハネは「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」と語っているのではないでしょうか。イエス様はパリサイ人や律法学者たちに「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。(ヨハネの福音書8章12節)」と仰せられたのでした。やみの中、すなわち不安や恐れを抱いて歩むのではなく、どんな出来事にも意味があること、事前にすべてのことをご存知でとりなしておられるだけでなく、歩むべき道に光を当てくださりすべてを益としてくださる主を信頼して人の光であるキリストにある者として生きようではありませんか。