わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはそのひとたちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章39節―40節)

1.ヨハネの福音書5章17節ー24節
2.ヨハネの福音書10章22節ー30節
3.ローマ人への手紙5章7節ー21節
4.ローマ人への手紙8章28節ー39節 

イエス様は「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはそのひとたちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」と、キリスト者は失われるような者でないばかりか、永遠のいのちが与えられていることを保証されたのですが、その要因はイエス様が恵みとまことを実現されたことにあるのではないでしょうか。パウロは「私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙第一 4章4節ー5節)」と、キリスト者に与えられている恵みの深さを語っています。私たちは肉の思いで過ちを犯しますが、私たちの行いによって救いが取り消されることのないことを、偶像崇拝者のように自分が主体となる宗教家ではなく、私たちの信仰は神にかかっていることを心に据えて(ペテロの手紙第一1章21節)、信仰者としての歩みを主に導いていただこうではありませんか。