わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。(イザヤ書51章4節)

1.箴言4章20節ー27節
2.イザヤ書34章1節ー17節
3.イザヤ書46章3節ー13節
4.ヨハネの福音書8章1節ー12節

今日の聖句は「わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。」と、まず、神の民、わたしの国民よ、と呼びかけていますが、神の民とされているイスラエル同様、イエス様を信じて神の家族となったキリスト者にも、主が望んでいることは、まず心を主に向けることであり、耳を傾ける、すなわちイエス様が種蒔きの話をされてから「聞く耳のある者は聞きなさい(マルコの福音書4章1節ー9節)」と仰せられたように、主の教えを聞く耳を持つように促しておられるのではないでしょうか。ローマ人への手紙10章17節は「信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみことばによるのです。」と語っています。モーセの律法の中で、姦淫をした女を石打ちにするように命じていますが、あなたは何と言われますか、と律法学者とパリサイ人から尋ねられたイエス様は今日の聖句が「わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。」と語っているように、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と話されると、民衆はその場から去ったのですが、同じ教えを聞いていたにも関わらず、自分の義に生きていたパリサイ人や律法学者は去らずに、イエス様が「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と言っても彼らはイエス様の証言を信じなかったのでした(ヨハネの福音書8章1節ー12節)。主がどのような方であるのかを心に据えるとともに、神の教えであるみことばに生きようではありませんか