義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。わたしの民は、平和な住まい、安全な家、安らかないこいの場に住む。(イザヤ書32章17節ー18節)
1.詩篇85篇8節ー13節
2.ローマ人への手紙4章25節ー5章1節
3.エペソ人への手紙2章10節ー19節
4.ヤコブの手紙3章13節ー18節
律法による自分の義に生きていたパウロは平和をつくり出すどころか、キリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でイエス様から声かけられ、キリスト者となった彼は「私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、というの希望があるからです(ピリピ人への手紙3章8節ー9節)。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。(ローマ人への手紙4章25節ー5章1節)」と語っています。今日の聖句「義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」の義は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる」と呼ばれるイエス様のことであり、「わたしの民は、平和な住まい、安全な家、安らかないこいの場に住む。」は、とありダビデが「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」と語っているように、主とともに日々生きることを意味しているのではないでしょうか。キリストの中にある者として生活するようにしようではありませんか。