さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコの福音書1章35節)
1.マタイの福音書4章1節ー11節
2.マタイの福音書6章5節ー13節
3.マルコの福音書6章31節ー32節
4.ルカの福音書6章12節ー13節
イエス様は、ヨハネからバプテスマを受け聖霊に満たされたイエス様は公生涯を始められる前に御霊に導かれて荒野で四十日四十夜断食をして祈られただけでなく、今日の聖句が「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」と語っているように、使徒たちを選ばれるときにも山に行き、神に祈りながら夜を明かされたように、主は世の喧騒から離れて一人で度々祈られただけでなく、祈るときには偽善者のように人に見られるように祈らないように祈るときには自分の奥まった部屋に入り、戸をしめて父なる神に祈るように、また父なる神は私たちに必要なものをご存知であることをわきまえて異邦人のように同じことばをただ繰り返して祈らないように仰せられたのでした(マタイの福音書6章5節ー8節)。ひとりだけの時だけでなく、ゲッセマネ祈られたときに弟子たちは一緒でしたが、弟子たちは眠ってしまっていたように、大勢の人がいても孤独を感じることがあると思いますが、そのようなとき、ペテロが「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。(ペテロの手紙第一2章4節ー5節)」と勧めているように、心を主に向け、イエス様が、モーセが人々のためにとりなされたように、私たちも人々のためにとりなして祈ろうではありませんか。