雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成功させる。(イザヤ書55章10節ー11節)
1.民数記11章4節ー23節及び31節ー32節
2.イザヤ書40章6節ー8節
3.イザヤ書45章22節ー25節
4.ペテロの手紙第一1章18節ー25節
今日の聖句は「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成功させる。」と神のことばは必ず成就することを語っています。ところで、神に用いられたモーセは神が成された多くの奇蹟を体験していたにも関わらず、欲望に駆られた民が肉が食べたいと、つぶやいたので主が一ヶ月も鼻から出てきて吐き気を催すほど肉を与えると約束されたのですが、それを信じなかったのですが、主はうずらを運んで来て成就されたのでした( 民数記11章4節ー23節及び31節ー32節)。イエス様がエルサレムで殺されるけれども三日目によみが得ることを話されると、ペテロも「あなたは、生ける神の御子キリストです。(マタイの福音書16章16節)」と告白したにも関わらず、「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずがありません。」と申し上げたのですが、イエス様が仰せられたようにイエス様は死からよみがえられたのでした(マタイの福音書16章21節-22節及び28章1節ー10節)。パウロは「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正とぎの訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(テモテへの手紙第二3章16節)」と聖書は神のことばであり、その働きがどのようなものかを語っています。ペテロが「生まれたばかりの乳のみ子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(ペテロの手紙第一2章2節)」と勧めているように、みことばそのものをしっかり握って生きるようにしようではありませんか。