人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。(箴言19章11節)
1.サムエル記第二16章5節ー14節
2.エペソ人への手紙4章26節ー32節
3.テモテへの手紙第二2章1節ー13節
4.ヤコブの手紙1章17節ー21節
人が怒る理由は様々ですが、自分の義に生きていると自己中心的になり視野が狭くなり、正しく物事を把握するよりも怒りに支配されてしまうのではないでしょうか。今日の聖句は「人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。」と、怒りをおそくす秘訣は思慮があるかどうかにかかっていることと赦しがもたらすものについて語っています。パリサイ人として生き、聖霊を持っていなかったパウロは激しい怒りに燃えてキリスト者を迫害していたのですが、聖霊に満たされた彼は「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままではいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と勧告するとともに「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と語っているように、怒りをおそくする思慮とは、神に赦されていることを自覚することにあるのではないでしょうか。パウロがテモテに勧めらたように(テモテへの手紙第二2章8節)私たちも怒りや憤りに支配されないように、十字架にかけられながらも人々のためにとりなして祈られ、死者の中からよみがえられたイエス・キリストを思うようにしようではありませんか。