神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)
1.使徒の働き1章4節ー8節
2.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
3.ローマ人への手紙8章15節ー16節
4.コリント人への手紙第一2章1節ー5節
ヨハネは「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出てきたからです。(ヨハネの手紙第一4章1節)」と警告されたように、この世全体を支配している悪魔や悪霊の力によって人々に助言を与えるユタやイタコのような霊媒師が存在しています。ところで、パウロは「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」と、キリスト者にはこの世の霊ではなく、神から与えられている聖霊のご性質について語っています。イエス様は昇天される前、弟子たちに「聖霊があなたがたに臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」と、仰せられたように、五旬節の日に聖霊が下り聖霊の力に満たされ、人を恐れずに大胆に福音を語ったペテロと共に弟子たちは人々の前に立ったのでした。箴言29章25節に「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」と語っています。人々の意見に同意してモーセは約束の地を探らせに12人を遣わしましたが、ヨシュアとカレブ以外の者たちは多くの奇蹟を体験して神の偉大さを知っていたにもかかわらず神を考慮せずに、アナク人を見て自分たちをいなごのように思い、おく病になったのでした。キリスト者には聖霊が与えられているので、この世の人々が持っていない神の力、神の愛が与えられていることを、しかもそれは恵みによるものであることをわきまえるなら、慎み深く生きられるのではないでしょうか。「力と愛と慎みとの霊」が与えられていることを忘れずに主を誉めたたえて生きようではありませんか。