人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけがなる(箴言19章21節)

1.創世記50章14節ー22節
2.詩篇33篇9節ー11節
3.詩篇73篇5節ー6節
4.ピリピ人への手紙2章6節ー16節 

人は自分にとって何が益となるかを思案して多くのことを計画しますが、期待した結果が得られるときもあるでしょうが、そうでないときもあるように保証はないのではないでしょうか。ヨセフは年寄りの子であったために兄弟たちのだれよりも父から愛されていたため、兄弟から憎まれ殺されようとしましたが、ユダの助言に従って銀二十枚でイシュマエル人に売られてしまいましたが、主が共におられたことによって、やがてパロからエジプト全土を支配する権威を与えられたのでした。やがて、全世界がききんに見舞われたとき、ヨセフの兄弟たちはエジプトのヨセフのもとに食料を買いに来たのでした。そして、父ヤコブが亡くなった後、兄弟たちは仕返しをされるのではないかと恐れ、ヨセフに「私たちはあなたの奴隷です。」とひれ伏して言ったのですが、ヨセフは「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでいられるでしょうか。あなたがたは私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それは、多くの人々を生かしておくためでした。ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたが田谷、あなたがたの子どもたちを養いましょう。(創世記50章14節ー21節)」と話されたのでした。パウロも教会を迫害していたにもかかわらず、キリストを証する者とされ、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを知ったのでした(ローマ人への手紙8章28節)。今日の聖句「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけがなる」を心に据えて、「どうして」と思うようなことが起きても、ヨセフやパウロに起こったことを思い起こして神にはご計画があることを認め、主の時を待ち望み、主に期待して生きるようにしようではありませんか。