主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。(詩篇5篇12節)
1.ヨハネの福音書10章24節ー30節
2.ローマ人への手紙8章28節ー39節
3.ヘブル人への手紙12章2節ー12節
4.ヨハネの手紙第一4章14節ー19節
イエス様は「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようでないことを感謝します。」と、自分を義人だと辞任し、他の人々を見下すような者より、自分の胸をたたいて「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」と祈られた取税人の方を神は義と認められることを話されたように(ルカの福音書18章9節ー14節)、パウロは「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節ー24節)」と語っているように、聖書が語る「正しい者」は、主を信頼する者であり、人の考えとは異なります。父なる神はイエス様のことを「これは、わたしの愛する子」と言われましたが、イエス様は悪魔やユダヤ人から試みられただけでなく、罪人を救うために十字架の刑に服され殺されましたが、三日目に死からよみがえられ神の栄光を現されたのでした。私たちの心が元気を失ったり、疲れ果ててしまわないために信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないように勧めています(ヘブル人への手紙12章2節ー3節)。だれもイエス様を信じる者をイエス様の手から奪うことはできないことを約束されました(ヨハネの福音書10章28節)。迫害にあったパウロは、どんなことがあっても、どのようなものもキリスト・イエスにある神の愛から引き離すことはできない、という確信を持っておられました。今日の聖句「主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。」を心に据えて、この世が与えることのできない霊的祝福をもって祝されていること、パウロのようにどんなことがあっても神に愛されていることを忘れないようにしようではありませんか。