イエスが過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。しかし、イエスは、ご自分を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。(ヨハネの福音書2章23節ー25節)

1.詩篇139篇1節ー12節
2. ルカの福音書22章31節ー24節
3.ヨハネの福音書16章29節ー33節
4.ヨハネの福音書21章15節ー17節

今日の聖句「イエスが過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。しかし、イエスは、ご自分を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。」は、イエス様を信じた人々とイエス様との関係について、なぜイエス様はご自分を信じた方々にお任せにならなかったかという理由をも語っています。エリアブを見て「確かに、主の前で油を注がれる者だ」と思ったサムエルに主が「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」と仰せられたように、パウロがコリントの聖徒たちに「いったい人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。(コリント人への手紙第一2章11節)」と語っているように、人は他者の心の真の状態を見ることはできませんが、主は私たちの心と思いがどのような状態にあるのかを、私たちの弱さをよくご存知でペテロのために信仰がなくならないように私たちのためにも祈っていてくださることを、私たちを救うためにご自身のいのちを捧げてくださったことを忘れずに「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」と仰せられた主に私たちの悩みや思い煩いや問題だけでなく私たち自身をも主にお任せするようにしようではありませんか(ローマ人への手紙11章33節ー12章1節)。