弟子は師以上にはでられません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。(ルカの福音書6章40節)

1.マタイの福音書5章43節ー48節
2.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
3.ペテロの手紙第一1章3節ー7節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー11節

使徒たちを殺そうとした議員たちに対して律法学者でパリサイ人でありパウロの師であったガマリエルは「あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたは彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」と忠告されたのですが(使徒の働き5章27節ー39節)、パウロは師に反してナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてステパノを殺すことに賛成し、激しい怒りに燃えてキリスト者を迫害するためにエルサレムだけでなく国外にまでも出かけて行ったのですが、ダマスコへの途上、イエス様から声をかけられ、キリスト者となり「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私に見ならってください。(コリント人への手紙第一11章1節)」とキリストを師と仰ぐ者となられただけでなくコリントの聖徒たちもキリストを師とするように勧めたのでした。イエス様は「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい(マタイの福音書5章48節)」と、「弟子は師以上にはでられません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。」と仰せられました。ペテロの手紙第一5章10節「あらゆる恵みに満ちた、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」を、私たちは完全ではないので懲らしめを受けることがありますが、それは神から愛されている証拠であることを(ヘブル人への手紙12章6節ー7節)、イエス様と同じ姿に変えられることを忘れずに生きようではありませんか。