私たちは真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら何でもできるのです。(コリント人への手紙第二13章8節)

1.ヨハネの福音書8章31節36節
2.ヨハネの福音書14章1節ー7節
3.ヨハネの福音書18章28節ー37節
4.ピリピ人への手紙4章4節ー13節

イエス様はご自身のことを真理である、と仰せられました(ヨハネの福音書14章6節)。パウロは自分の考えでナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考え、激しい怒りをもってキリスト者を迫害し、エルサレムだけでなく国外にまで出かけて行ったのですが、ダマスコの途上で強い光に照らされ「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞き「主よ。あなたはどなたですか。」と尋ねると「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と、キリスト者を迫害することはキリストを迫害することになることを知らされただけでなく、彼は視力を失い、人に手を引いてもらわなければならない状態に陥ったのでした。キリストを知る者となったパウロは驚くべきことに獄中の中から「私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。(ピリピ人への手紙1章12節)」と語っただけでなく「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と勧めるとともに「私は貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への手紙4章12節ー13節)。」と語っています。ですから、「私たちは真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら何でもできるのです。」と、真理に逆らう、すなわちキリストに敵対した時の経験とキリスト者になってからの経験を踏まえて語っています。イエス様は真理を証しするために来られたことを話されました。イエス様は十字架の死と復活という真理をご存じでした。真理の方であるイエスと真理のみことばは恐れや思い煩い、罪や死から解放する力があることを、弱い時にこそ主の力が完全に現されることを(コリント人への手紙第二12章9節)忘れずに生きようではありませんか。