人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。(箴言18章12節)
1.ダニエル書4章4節ー37節
2.ルカの福音書18章9節ー14節
3.ピリピ人への手紙2章3節ー11節
4.ヤコブの手紙4章1節ー10節
このところ百条委員会の証人尋問に臨んだ兵庫県の斉藤知事の答弁が放映されるのを見ながら、今日の聖句「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」を思い起こすとともに、エリヤが「この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻すことを知るようにしてください。(列王記第一18章37節)」と語っているように、人の力によっては、心のかたくなな方、他者のことを考慮できないほど自分を愛してやまない方の心を悔い改めに導くのは至難の業である事をも思わされました。キリスト者であっても、知らないうちに高慢になっているだけでなく、高慢になっていることに気がつかないでいるような弱さがあるのではないでしょうか。アイでの最初の戦いにおいてイスラエルは敗北しましたが、その要因にはアカンが罪を犯しただけでなく、ヨシュアは主に伺うことなく「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。」と言ったアイの地を探った者たちのことばに従ったことによるものでしたが、ヨシュアが夕方まで地にひれ伏して主の前にへりくだると、主から「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全員を連れてアイに攻め上れ、見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。」と、勝利を与えられることを約束されたように勝利したのでした。謙遜は他者と自分を比較して卑下することではなく、ヨシュアのように主との関係におけるものであることを、神の願いはすべての人が救われて真理を知ることであることを心に据えて十字架の死にまで従われただけでなく人々のためにとりなして祈られたイエス様を仰ぎ見て、すべての人々、斉藤知事はじめ上に立つ人々のために祈ろうではありませんか(テモテへの手紙第一2章1節ー5節)。