遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。(イザヤ書46章9節)

1.創世記1章1節ー31節
2.申命記7章7節ー8章18節
3.イザヤ書44章6節ー28節
4.ローマ人への手紙1章20節ー25節

創世記1章1節ー3節に「初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上を動いていた。そのとき、神が『光があれ。』すると光があった。」と語っているように、神はまず光を創造されてから人が生きるのに必要なものを創造されてから最後に人を創造されたので、地球の誕生や人の誕生は神のことばによって解明されているにも関わらず、人は人の知恵をもって人類誕生や地球誕生をいまだに解明しようとしていますが、そこ根底には罪の問題があるのではないでしょうか。人は善悪の知識の木から取って食べないように警告された神のことばよりも本当の理由は死ぬからではなく「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と悪魔の偽りのことばを信じて食べたことによって、食べる前はふたりとも裸であっても互いに恥ずかしいと思わなかったにも関わらず(創世記2章125節)、アダムとエバの目が開かれ自分たちが裸であるのを知り、自分たちの考えでいちじくの葉をつづり合わせて腰のおおいを作り神である主の声を聞くと園の木の間に身を隠し、神との関係に変化がもたらされ、人は神によって創造されたにも関わらず、自分たちの考えで神々を造り、多くの宗教を生み出したのでした。イスラエルの民は多くの奇蹟を体験して神の力や神の愛を経験していたにも関わらず、モーセが山から降りて来るのに手間取ったの見た民はアロンに神を造るように要請し、金の子牛を造って、真の神を知らない世の人々のように偶像崇拝をしたのでした。今日の聖句が語っているように、神がどのような方なのかを忘れずに、真理のみことばをしっかり握って人の知恵に惑わされないようにしようではありませんか。