だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント人への手紙第二5章17節)

1.コリント人への手紙第二3章6節ー18節
2.コリント人への手紙第二4章15節ー17節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.ピリピ人への手紙3章10節ー16節

イエスがユダ人の指導者ニコデモに「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。(ヨハネの福音書3章3節及び5節ー6節)」と、人が新しくされるためには自分の考えや意気込みではなく、御霊によらなければならないこと話されました。ところで、御霊はイエス様を信じる者に与えられるためにパウロは「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と、「だれでも」と、すなわち年齢や性別、家柄や能力に関係なく、どんな過去があろうと、イエス様を信じる者は新しく造られた者であることを語っています。使徒とされたパウロにはステパノが殺される時には賛成しただけでなく、激しい怒りに燃えてキリスト者を迫害していた過去がありました。パウロは「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。(ピリピ人への手紙3章13節ー15節)」と勧めています。過去の思い出に生きるのではなく、キリスト者の 内なる人は日々新たにされ、主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていくことを心に据えて生きようではありませんか。