彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油を注がれる者だ」と思った。しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル記第一16章6節ー7節)

1.サムエル記第二16章5節ー14節及び19章16節ー20節
2. 詩篇51篇5節ー17節
3.詩篇139篇1節ー12節
4.マタイの福音書6章1節ー8節 

イエス様はパリサイ人や律法学者たちにイザヤ書29章13節を引用されて「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。」と仰せられただけでなく「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。(マタイの福音書23章27節ー28節)」と仰せられたのですが、その原因は人からの栄誉を求め、神よりも人の目を気にしたことにあるのではないでしょうか。箴言29章25節は「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」と警告しています。人は見た目で判断しがちなので人の目を気にしがちですが、見かけで判断しようとしたサムエルに主が「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と仰せられたことを心に据えて、人や人のことばを恐れるのではなく、心を見ておられる主は恵みとあわれみに満ちておられ、とりなしていてくださることを忘れずに心から主を喜んで生きるようにしようではありませんか。